1998年から南太平洋に浮かぶ島国ツバルに軸を置いた活動を行っています。最新ニュースの提供、気候変動防止を主題とした講演会への講師派遣・写真展へのパネル貸し出しを行う他、鹿児島の体験施設「山のツバル」では、スマートな低炭素暮らしの実験に挑戦しています。

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泡瀬干潟・辺野古沖を視察して(2004年12月20~24日)
No.01
追加情報:2010/03/18 ココが変だよ! 土地利用計画見直し

2004年12月20日 那覇空港12時着
30分遅れで那覇空港に着いた僕を待ち受けていたO氏は、沖縄のダメなところばかり沢山見て頂きますよ、と言いながら軽のワンボックスをゆっくりと空港駐車場の出口に進めていく。アクセルを踏む足はサンダル履きである。しまった・・・ビーサンを忘れた!次沖縄に来るときはビーサンを忘れないようにしなければ(やっぱり南の島はサンダルが基本だ)

白い小さなワンボックスはやけに広々とした片側3車線の道路をトコトコと南の方へ進んでいく。道路の上には2003年8月に出来上がったモノレールの橋脚が続いている。電車に乗る習慣がない沖縄、路線が短くて不便な事もあって2両連結の小さな車内は乗客もまばらなのだそうだ。道の横には大柄なデザインの建物が目をひく。しばらくするとその建物の後ろの山肌にトンネルを大げさに塞いだような構造物が並んでいるのに気がついた。あ~これが有名な沖縄のお墓か!その大きさは家並みどころではなく、さながら「土木工事」を連想させる規模のモノも珍しくない。

祖先を大切にする文化なんですよ。ハンドルを握りながらO氏が解説してくれる。墓にはいくつかの型があるが、大きい方が家や家長の力を誇示できて良いそうだ。そんな解説を聞いている僕の目の前を、また土木級が横切っていった。別の日に乗ったタクシーの運転手さん曰く、あの世に言っても家族仲良く暮らすためには、大きい家があった方が良いでしょう?ということらしい。

しばらく車を進めて田舎道に入ると畑が目立ち始める、都市型の近郊農業で葉物などの日常野菜が多い、サトウキビ畑も目立つ。その隅に見覚えのある葉っぱが目にとまった。おっバナナだ!と思ったら次はパパイヤの畑もある・・・岸辺にはパンダナスも!おっあっちにはハイビスカスが!南の島で見慣れた植物が至る所に自生している。誰かが「日本語が使える南の島だよ」と沖縄を形容していたのを思い出す。まさしくその通り、街路樹として植えてある椰子の木も、それはそれで良いように見えてきた。

泡瀬干潟・辺野古沖を視察してその1
道ばたに自生するパンダナス、ツバルではこの葉っぱでゴザを編んだりする。背後にはモクマオウが見える。

時刻はすでに1時過ぎ、O氏が連れて行ってくださったのは糸満市真壁にある「真壁ちなー」というお店。伝統民家でお茶や食事が楽しめるところだ。珊瑚を積み上げた塀が両側を囲む狭い道を進んでいくと、その堀をスパッと切り抜いた奥に赤い瓦屋根の木造の民家があった。明治24年(1891年)頃の築、いかにも重そうな瓦屋根を支える柱は白く風化し歴史を感じさせる。内部は通りに面して広い縁側があり、向かって右側から1番座、2番座、台所と部屋が横一文字に並んでいる。改装されているのは多分台所だけで、低いテーブルが置いてある1番座、2番座、縁側はほぼ手を付けずに保存されている。外から見ると台風の被害を避けるために塀に隠れるほど低く立てられている家屋だが、内部の高い天井のスケールは日本的というよりも大陸のそれを感じる。大きめの6畳間の1番座には床の間があり、2番座には押し入れと見まがうほどの壁一面の仏壇があった。

部屋の壁は漆喰などの土壁ではなく、木の板張り、天井も板張りだが、座っている床が畳なので妙に落ち着く。瓦屋根の民家は役人などの位の高い人の家で、普通の民家は茅葺きだったそうだ。昔設計の職に就いていたので細かいところまで目がいってしまうが、建物に込められた知恵は、その当時の文化やその伝搬や成熟過程を知る手がかりになって面白い。

泡瀬干潟・辺野古沖を視察してその2
「ちなー」正面、家の周囲にも当時の生活様式が伺える遺構が残されており興味深い。

もう一つ、文化を伝える担い手になっているのが食べ物だ。テーブルに運ばれてきた沖縄ソバ御膳は、お馴染みの沖縄ソバとジューシーと呼ばれる炊き込みご飯。ラフテー、シナチクのチャンプルー、モズクの酢の物・・・盛りだくさん。これかけると旨いですよ~と勧められたのは「コーレーグス」と呼ばれる泡盛に唐辛子をつけ込んだ調味料。泡盛の鮮烈な香りと島唐辛子の強烈な辛みが料理の味を引き立てる「沖縄は未体験料理の宝庫だよ!それがいちいち旨いんだよな~」と語っていた友人の嬉しそうな目を思い出す。中華でもない、かといって日本食でもない、独自の素晴らしい文化が沖縄にはある。

泡瀬干潟・辺野古沖を視察してその3
屋根の上ではシーサーが睨みをきかす、瓦職人が瓦を砕いて漆喰と混ぜたもので作ったそうだ。

つづく→