1998年から南太平洋に浮かぶ島国ツバルに軸を置いた活動を行っています。最新ニュースの提供、気候変動防止を主題とした講演会への講師派遣・写真展へのパネル貸し出しを行う他、鹿児島の体験施設「山のツバル」では、スマートな低炭素暮らしの実験に挑戦しています。

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東京脱原発を訴える6万人が集まりました!日本の大手マスメディアはこのデモの様子を肯定的に報道せず、地方に暮らしている方々には、このような大規模なデモ行進があったことが伝わっていないかも知れませんが、大江健三郎さんの呼びかけのもとに6万人を超える人々が集まって、原発反対の姿勢を表明しました。僕もこの日のために鹿児島から東京に移動して妻と2人で参加しました。

今住んでいる鹿児島の「山のツバル」も原発とは無関係ではありません。川内原発、やらせで注目されている玄海原発の2箇所で危ない原発が動き続けています。もし、事故が起これば、九州だけではなく西日本全域に放射能物質が拡散し、最悪は人が住めなくなるのです。

そのような思いを持った人達、それから、福島からの被災者の方々も沢山参加されていました。

集会は1時半から始まりましたが、デモ行進が始まったのは3時近くになってから、あまりの人の多さに、集会場となった明治公園から出るまでに数時間待った人もいて、5時を過ぎてからデモ行進の最後尾が公園を出発するほどの規模の大きなデモ行進でした。

このごく普通の国民の声は果たして日本政府に届いているのでしょうか?残念ながらその答えは今のところ「NO」です。新しく首相になった庶民派と思われていた野田さんも、首相になったとたんに原発推進派へと鞍替えしてしまいました。挙げ句の果てには、福島での被災者を「ただちに健康被害はありません」と避難させずに被爆させ続けた枝野さんを大臣に起用するなど、福島の事故すらなかったような対応です。

話をデモの様子に戻します。デモ行進の周辺にはこのように無駄とも思えるほどの警官が配備されています。いったい何のために?毎回首をかしげる光景です。しかし、今回は労組や教組といった昔からの団体も多く参加していたためでしょうか? 威圧的に命令口調でデモ行進を誘導するような姿勢もなく、無駄な逮捕もありませんでした。611や911のサウンドでもの時のような、警官の態度とは全く違います。いったい、どのような事情があるのか、分からないことも多すぎます。

分からないと言えば、この私服の公安の動き。デモ行進に参加している人達の写真を撮ったり、なにやらメモをしたり。公安警察というのは「主に国家の治安・体制を脅かす事案、若しくはそういった事態につながる可能性がある事案に対応する。」のように説明されることが多い組織だが、この論理で行くと、原発に反対する市民運動は、国の治安と体制を脅かす運動であると、政府は認識していると言うことなのでしょうか?

911では見せしめとして12名が逮捕されました。デモに参加すると逮捕されたりして怖いよ〜、よい子はデモに参加せずに、買い物にでも行って浪費していなさいよ〜 というメッセージです。しかし、逮捕されてもすぐに釈放されますし、参加者全員を逮捕することは物理的に出来ないので、怖がる必要はありません。みなさんも、もっともっとデモに参加して私たちの声を、まったく当てにならない日本政府を飛び越して国際社会へ届けていきましょう。

次のリンクは911の際の逮捕劇の様子を伝える記事です。
http://www.alterna.co.jp/6801

デモにはいつの間にかセミも参加。セミにしてみれば、今年残した子孫が地上に出てこれるのは7年後。その時に放射能に汚染されていない地上があるのか?これは、大きな問題です。同じように、今の子どもたちに安全な未来を残せるかどうか?「子供を守れ!」という声も沢山聞かれました。

デモの様子などを紹介した海外のニュースを紹介します。

ドイツZDFテレビニュース「脱原発を求める日本人」~東京9月19日6万人デモ

それに対して何事もないようなNHKの報道を比べてみてください。
(消されてしまうかも知れませんお早めに)

NHKの超悪質報道を問う!「さようなら原発 5万人集会」報道で

デモの紹介をちょっとして、その後に、原発事故がいかにも終息に向かっているかの印象を残すニュースを、差し込んでいます。この構成では、デモは全く意味が無く、参加者達も無駄なことをしているな〜という印象が残るのではないでしょうか? そもそも「冷温停止」というのは、格納容器が壊れていない原子炉に対して使われる単語なので、福島第一発電所のように壊滅的に破壊された原子炉に対して、使用できる単語ではありません。この事実は海外の政治家の方が良く理解できていると思うので、細野さんも演説も、国際社会に対しては好意的に受け止められてはいないと思われます。

最後に、呼びかけ人の大江健三郎氏の集会でのメッセージを掲載します。

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大江健三郎さん(呼びかけ人)
二つの文書を引いてお話します。第一は、私の先生の渡辺一夫さんの文書です。「『狂気』なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々もおられます。それは、『うそ』だと思います。『狂気』によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は、『狂気』に捕らえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、地道になされるものです」。
この文書はいま、次のように読み直されうるでしょう。
「原発の電気エネルギーなしでは、偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もおられます。それは『うそ』だと思います。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴います」。

私が引用します第二の文書は、新聞に載っていたものであります。原子力計画をやめていたイタリアが、それを再開するかどうか国民投票を行いました。反対が九割を占めました。それに対して、日本の自民党の幹事長が、こう語ったそうであります。
「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情として分かる」。
偉そうなことを言うものです。もともとイタリアで原子力計画が一旦、停止したのは、二五年前のことです。チェルノブイリ事故がきっかけでした。それから長く考え続けられた上で再開するかどうかを、国民投票で決めることになったのです。その段階で、福島の事故が起こったのです。
いまの自民党幹事長の談話の締めくくりはこうです。
「反原発というのは簡単だが、生活をどうするのかということに立ち返った時、国民投票で九割が原発反対だから、やめましょうという簡単な問題ではない」と幹事長は言ったのです。

原発の事故が、簡単な問題であるはずはありません。福島の放射性物質で汚染された広大な面積の土地を、どのように剥ぎとるか、どう始末するのか、既に内部被ばくしている大きい数の子どもたちの健康をどう管理するのか。
いまはっきりしていることは、こうです。イタリアではもう決して、人間の命が原発によって奪われることはない。しかし私たち日本人は、これからもさらに原発の事故を恐れなければならないということです。私たちは、それに抵抗する意思を持っている。その意思を、想像力を持たない政党の幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。
そのために、私たちに何ができるのか。私たちには、この民主主義の集会、市民のデモしかないのであります。しっかりやりましょう。

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デモは今後も何回も何回も繰り返されることでしょう。時間が合えば、怖がらずに是非参加してください。